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ドットの接続

第85回

生成AIは頼れる相棒か 
~「もっともらしい答え」と「わかってくれる言葉」の落とし穴~

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生成AIは、私たちの生活の中で急速に存在感を増している。かつては、知らないことを尋ねる「検索の補助」として使われることが多かった。しかし現在では、検索、要約、資料作成、プレゼン資料の下書き、さらには利用者の状況に応じた助言まで行う存在になっている。学生を含む若い世代にとって、生成AIはもはや特別な技術ではない。学習や仕事の入口であり、日常的な相談相手でもある。

 

生成AIを使うこと自体は悪いことではない。適切に使えば、調べ物の時間を短縮し、情報を整理し、考えを文章化する強力な補助手段となる。自分の考えを広げたり、資料の構成を考えたり、言葉にしにくい悩みをいったん整理したりするうえでも役立つ。問題は、生成AIを「補助」ではなく「代行」として使い、判断そのものまで丸投げしてしまうことである。

 

警察の捜査、行政、教育、企業活動のように正確性や責任が求められる場面では、とりわけ慎重さが必要である。ネットを利用した検索や資料収集は重要であり、生成AIもその一手段にはなり得る。しかし、生成AIの回答をそのまま事実として受け取ることは危険である。生成AIには、ハルシネーション、すなわち誤った内容をあたかも事実であるかのように述べる問題がある。しかも、それは単なる誤答にとどまらない。前後の文脈を整え、理由や背景まで補いながら、もっともらしい説明として提示される。そのため、利用者に十分な知識がなければ、どこが間違っているのかを見抜くことは難しい。

 

情報の真偽を尋ねる場合も同じである。生成AIは、ある時点で参照できる情報をもとに、確率的に自然な回答を組み立てている。もし特定の団体や人物が恣意的に情報を拡散していれば、その情報が検索結果や学習データに紛れ込み、誤った結論を支える材料になることもある。半日後には、同じ問いに対するAIの回答が変わることすらある。つまり、生成AIの回答は結論ではなく、検討の出発点にすぎない。一次情報を確認し、複数の資料を突き合わせ、誰が、いつ、どのような意図で発信した情報なのかを見極める必要がある。

 

また、著作権や表現上の問題も軽視できない。生成AIそのものに著作権がないとしても、AIが作成した文章や画像が既存の著作物に酷似することはある。実際、生成AIを用いた広告ビジュアルが有名アニメのキャラクターに似ているとして批判を受け、広告撤去に至った事例もある。AIが作ったから責任が曖昧になるわけではない。公開し、利用するのは人間であり、最終的な責任も人間に残る。

 

さらに深刻なのは、生成AIが「相談相手」や「教師」のように扱われ始めていることである。報道では、10代女性の半数以上が生成AIを悩み相談に使うと回答し、人間関係に関するAIの助言を信頼する割合も若年層ほど高いと紹介されている。プロ野球の監督をめぐる家庭内暴力事件でも、被害を受けた子供が生成AIに相談し、その回答をきっかけに児童相談所へ連絡したと報じられた。ここで重要なのは、その行動の是非だけではない。若者にとって生成AIが、すでに「最初に相談する相手」になりつつあるという事実である。

 

人に言いにくい悩みでも、AIには打ち明けられる。すぐに返事があり、否定されず、やさしい言葉で受け止めてくれる。この安心感は大きい。だが、生成AIの言葉が本当の理解や共感から生まれているわけではないことを忘れてはならない。心理学やカウンセリングには、相手の言葉や感情を反復して受け止めるミラーリングという技法がある。また、相手の話し方、関心、価値観に歩調を合わせて安心感を生むペーシングという考え方もある。生成AIは、このミラーリングやペーシングに似た応答を非常に巧みに行う。

 

利用者が「つらい」と入力すれば、AIは「それはとてもつらかったですね」と返す。不安を語れば、不安に寄り添う言葉を選ぶ。怒りを書けば、まずその怒りを肯定するように応答する。さらに、利用者の文体や関心に合わせて回答するため、あたかも自分を深く理解してくれているように感じられる。しかし、それは人間のカウンセラーや信頼できる大人が行う理解とは異なる。

 

人間が悩みを聞くときには、言葉だけでなく、表情、沈黙、過去の経緯、家庭環境、人間関係、置かれた立場などを総合的に考える。本人が語っていない背景にも慎重に目を向ける。一方、生成AIが扱えるのは、基本的には入力された情報と、学習済みのデータ、参照可能な外部情報である。そこにない事情は分からない。本人が感情的になって一面的に書いたこと、誤解していること、あえて伏せたことも、AIは前提として回答してしまう。

 

そのため、生成AIの助言は正論になりやすい。「危険なら相談機関へ」「我慢しないで」「距離を置いて」といった答えは、一般論としては正しい場合が多い。しかし人生の問題は、正論だけで解けるほど単純ではない。家族関係、学校、職場、経済状況、本人の心理状態によって、必要な対応は大きく異なる。正しい言葉が、常にその人にとって最適な助言であるとは限らない。

 

生成AIを相談に使うことを否定する必要はない。気持ちを整理する、言葉にできない悩みを文章化する、相談窓口を知る、といった使い方には意味がある。誰にも話せず孤立している人にとって、AIが最初の入口になることもあるだろう。しかし、それはあくまで入口であり、結論ではない。深刻な悩みや重要な判断は、家族、友人、学校、職場、医療、福祉、専門機関など、現実の人間や制度につなげる必要がある。

 

生成AIは便利な道具であり、頼れる補助者にはなり得る。しかし、最新の真実を常に知る存在でも、個人の人生を丸ごと理解する存在でもない。やさしい言葉を返し、気持ちを映し、歩調を合わせることはできる。だが、それはその人の身になって責任をもって判断していることを意味しない。生成AIは万能ではない。「見てきたように平気でうそをつく」だけでなく、「分かっているようにやさしく語る」こともある。だからこそ、私たちは生成AIを使いこなしながらも、最後の判断をAIに預けてはならない。必要なのは、AIを信じる力ではなく、AIを疑い、確かめ、人間につなげる力なのである。

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